父は外国人で、会話はだいたいカタコト日本語。おまけに常識からちょっと外れたことを言うのが得意な人だった。
家の中の「当たり前」は、世間一般の「当たり前」とは別ルートを走っていたらしい。
そんな環境で育って小学校に行くと、朝礼で「右へならえ」をやる。
みんな同じ方向を向いて、同じ角度で手を伸ばす。なのに僕だけ、なんとなく「ん?」と思っていた。
みんなはほぼ同じなのに、自分だけちょっと違う気がする。よく分からないまま、とりあえず右にならっておいた。
右にならうことだけは、なぜか得意だった。
でも考えてみると、「みんな同じでないといけない」という空気の方にも、別の違和感があった。
同じであることが正解みたいに扱われているのが、なんだか不思議だった。
たぶんこのときから、「同じ」も「違う」も、どちらも当たり前じゃないんだなと、薄々感じ始めていたんだと思う。
AngleLabでも、まず「右へならえ」をしない。同じである必要も、違う必要もない。
それぞれが自分の角度を見つけるところから始まる場所にしたいと思っています。